みんなの「世界一の映画館」を大募集 !!

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〜みんなの投稿〜

小学校にあがる頃まで近所に二つの映画館があり 家が商売してたので幼稚園から戻ると「もぎり」のおばちゃんが数人の子どもたちの手を引き映画を観せてくれた。 幼少期から映画館が遊び場だった僕に 様々なことを教えてくれたあのスクリーンは永遠の淡い記憶。

思い出の映画館とエピソードはもう何回も書いてるから館名だけ書いておこう。「香里ミリオン」「一番好きだった映画館 梅田OS劇場」「偽物の日劇」「海老名THX」「スターウォーズの聖地 新宿プラザ劇場」「東京アイマックスシアター」「シネプレックス幕張」「鹿児島ミッテ10のIMAX」 

たまに六本木のシネヴィヴァンに行った。お洒落な映画館だったな。

なくなっちゃったけど、毎日ホール劇場&毎日地下劇場

学生時代オールナイトのモギリのバイトしてたから

自由が丘武蔵野
オシャレな街になるまえ、小さい頃娯楽。
子ども500円くらいで、インディージョーンズ二本立てとかだった。

名作もめっちゃみた。ヒッチコックとか。
親と喧嘩したりしたときはここにこもってたなぁ。

一番と言えばマイケルのTHIS IS ITをそのために音響調整してそんな調整まで立ち会わせてくれてライブスタイルのスタンディング上映してくれたシネマシティさん。私にとってあの日々とあの光景は今もこれからも宝物。あの頃映画館がそんなことをしてくれるなんて思ってもみなかった!

あと、濱マイクの探偵事務所を振り返って見上げながら座れてあそこで観る濱くんは本当に最高だった。2階の事務所で記念撮影できたりね。そしてその横浜日劇のラストの電気が消えるのを見送った思い出。あの外観はまさに映画の世界だった。

新宿タカシマヤ併設だった テアトルタイムズスクエア

10年以上前だと lMAXシアターなどの 巨大スクリーンがまだ 普及する前だったと思うので 当時はここの大画面で 映画観賞するのが いつも楽しみでした ケネス・ブラナー氏 監督作の【魔笛】を観たのが 忘れられないです

JRの高架下にあった新橋文化劇場。日中は当然電車の音が響いてくるけど、ある日パタッと止まったことがあり… ちょっとメジャーから外れた、でも面白い作品がかかる映画館でした。最終日に押しかけたのも懐かしい。もっと通いたかった。

思い出深いのはオーディトリウム渋谷かな。この映画館に辿り着くまでの猥雑な景色は嫌いじゃなかったし館内も居心地良かった。ある時『駆ける少年』を観に行って待ち構えていた監督にサインを頂いた。スタオベしたくなるような良い映画で気持ち良く帰った覚えがある。

洲本オリオンと、塚口サンサン劇場と、ちょっぴり宝塚シネ・ピピアに想いを馳せて。 最後は泣いてる

私が大事にしている映画は、パルシネマしんこうえん
今でも2本立てで見ることができて、お昼時間帯にはサンドイッチなどを持ち込んだ常連さんが映画を見ながらランチしていて、まんまという感じが大好きです。
偶然映画で隣席に知人が座っていて、嬉しくなった思い出もあります。

王子シネマ。

地元にファンを増やしながら地道に経営していたようだった。大学時代にアルバイトで働いたことがあり、業界人になれたような気持ちになった。
監督をやるようになって、ロケ場所として使わせてもらい、深夜ロケをしただが、開ぎりぎりまで撮影して迷惑をかけた。そ姿は拙作「ナイントゥイレブン」にあり、まだ見ることはできる。
できれば、自分長編映画をいつ日かかけたかっただが、2012年12月に閉してしまい、そ夢は閉ざされた。
しかし、こ映画でお客さまと接していたことが今も糧になっていると思う。

母の遺品整理。 彼女は生前 グリーハウス の話をよく私に話してくれた。本当にグリーンハウスが好きだったんだね。こんなにもチラシが出て来たよ。母はもう一度酒田にグリーンハウス出来ないかな?って言っていた。もう一度 世界一の映画館を酒田に欲しいね

ブリリアショートショートシアターの閉館日に行った事が今でも覚えてる。ショートショートだけを上映してくれるから各国の映画を観れてお得感があったなぁ。好きな映画館の最後を見届けるのは寂しくて、だからこそより映画が好きになれるのかもしれない。素敵な思い出があるから。

北海道浦河町の大黒座さんかなー。はるばる訪ねて猫のちーたんに歓待されたときは本当に嬉しかった。こぢんまりとアットホームに頑張っていらっしゃる。また遊びに行きたい。

私にとって世界映画は、

渋谷パンテオン かもです。

パンテオンで2度見せていただいた
「サウンド・オブ・ミュージック」70mm上映臨場感はいまでもきことように思い出します。
いまはデジタル化もされていろいろなスペック上映方式が生まれていますが あれを超える映画体験がこれからできるでしょうか?
1000席近い座席をお客様が埋め尽くして同じ映画を共有する。今思うとあれこぞが贅沢な映画体験だったと。

1901年開業1924年焼失(劇場が出火元、真冬マイナス20度以下で消防車遅れ) 1925年再開は“踊り子サリー”、人口5000人の町にあった1000席のシアターは1970年代閉館後建物そのままスケートリンクになった(2017年終業)

移転前の大手町にあった頃のフォーラム山形。小規模な映画館でしたが椅子の座り心地がよくて、他ではなかなかないような上映ラインナップで 映画に集中できる空間でした ちなみに映画館には珍しく飲食禁止 それも集中するにはよかったのかも

自分を映画沼に引きずり込んだ、銀座シネパトスは忘れられない。雨の中、お目当ての作品がここでやってるとのネット情報で訪れた映画館は、想像以上のカオスだった。惹かれて何度も行くようになったが、無くなるまであっという間だったのが残念。何でも掛かってる、いいハコだった…

それはもちろん グリーンハウス。大中小劇場に 畳個室、 洋室個室、 おしゃれな喫茶店に 高級ハンドバッグも売っていたりと もう 未だにあんな洗練された映画には行ったことありません!

グリーンハウス

通りで「ぶり子」を買って映画を観ることが多かった。
入口入ると蔵前にある「高屋」バッグが並ぶ。
多分幼稚園頃に初めて観た映画が「ポセイドンアドベンチャー」
毎年夏になると何かしら観に行った。
2F特別席にはたしか畳部屋に座布団小さめな机とポットが置いてあっただろうか。ガラス張り先にスクリーンが見えていとこと緒に寝そべって観るが最高だった。
大人になった気分でコーヒーカウンターで多分ジュースを飲んだような記憶がある。
すごく昔なに今もあような映画はない。

ここで観たスターウォーズ。
忘れられません。
父親と緒に観た映画数少ない映画ですが、圧倒的な映画雰囲気は忘れられません。

移転前の大手町にあった頃のフォーラム山形  小規模な映画館でしたが椅子の座り心地がよくて、他ではなかなかないような上映ラインナップで 映画に集中できる空間でした ちなみに映画館には珍しく飲食禁止 それも集中するにはよかったのかも

三原橋にあった銀座シネパトス。あのおこもり感と上映中に地下鉄の走る音が時々聞こえてくるのが好きだった。閉館前にやった銀座モノ映画特集は、名画座の特集の中でも特に好きな特集でした。

私の思い出の映画館の1つは、上越市にある 高田世界館。旅先でふらりと立ち寄り『人生フルーツ』(夫婦のライフヒストリーと時代の空気を織り交ぜた良い作品)を鑑賞。 また、レトロな館内に酔いしれつつ、隣に座った人と意気投合し、飲みに行くなどした思い出の映画館です。

6歳の頃家族で行った今は無き天童市の天童劇場。作品は「東映アニメフェア」だったが、「割引券は家にあるから今持っているも同然だ。割り引いてくれ」と値切る父を横目に、クジで聖闘士聖矢のポスターが当たり兄弟で大喜びしたのはいい思い出です。

最期に『タイタニック』をかけ、船底に1500人を抱えて沈んでいった豪華客船さながら、惜別の1000人と共に沈んだ新宿プラザ劇場は圧巻だった。

ちなみに新宿プラザ劇場の開館作品は『ウェスタン』(’68)で、通常興行の閉館作品は『ウォンテッド』(’08)。どちらも父親への強い想いに突き動かされるガンマン(ブロンソン/アンジー)が主人公だった。

初めて見に行った映画は大阪 道頓堀の松竹座で「ET」でした。「道頓堀へ映画を見に行くわよ」という母の言葉に、当時5歳だった私の頭の中では、赤とんぼがたくさん飛んでいる素敵な場所を思い浮かべていました。

実際に赤とんぼはいなかったけど、大阪の松竹座は大きな劇場で、お城みたいで素敵だった。 今は映画館は閉鎖されてお芝居のみになってしまったけれど、ETと一緒に空を飛んだのも、アニーと一緒に奇跡を夢みたのも、八犬士たちと大冒険したのもすべてこの場所でした。

酒田市に幻ように現れ消えた映画、そしてまるで映画ような人生を送った佐藤久氏。今はもう、そ映画へは行く事もできず、彼に会う事すらとうてい叶わない。

世界映画思い出と言えば、こ映画主人公であグリーンハウス」思い出が今でも鮮明に残っている。
当時、私は、幼稚園児だったと思う。酒田市出身母は、小さい私を連れて、休み度に実家に帰省していた。正直言って、小さい私には、つまらなかった。何故なら母実家は酒屋で、当時はお店内で角打もしていて、常に配達もしていた記憶があり、特に祖父母と同居している叔母も忙しそうだった。
つまらなそうな私を見かねた叔母が、「グリーンハウス」に連れて行き、私を人劇場へ着くと車からおろし、「映画が終わったら迎えに来るから」と置いてけぼりにされてしまった。それが私初め映画経験だった。

そして数年後、母実家が酒田大火災で燃え上がってしまい「グリーンハウス」から出火元だと後で分かった。
後に系列「酒田港座」は私も祖父株主優待券で沢山映画観ると言う楽しみで酒田に行く目的が出来ただが、「グリーンハウス」がいまだにあったなら、きっと通い続けてるはないかなと思う位私は生粋映画マニアになってしまい映画は劇場で観るをもっとうに劇場に足を運んでいる。

私にとって世界映画は、仙台に昔あったミニシアター「シネアート 」です。ここで『ポンヌフ恋人』をロングランしていて3回見て、そ影響で大学卒業旅行で冬パリに旅行に行きました。他にもフェリーニやゴダール、アンゲロプロスなど、20代頃にスクリーンで観ることが出来たは、こ劇場おかげです。

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